村井源兵衛 13.02.28, 14:51
村井源兵衛(むらいげんべい、1857-1937)は機械技術者。
釜石出身で官営釜石製鉄所で働くも、明治15(1882)年に製鉄所が廃止となる。明治18(1885)年からは田中鉱山の機械主任として高橋亦助とともに製鉄所の発展に貢献する。

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釜石製鉄所山神社扁額
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中島宣 13.02.28, 14:25
中島宣(なかじません、生年没年不明)は技術者。

明治18(1885)年に西村勝三が払下げた品川硝子製造所に技師として勤務。ドイツのシーメンス・リジネラチブ式製壜工場のシーメンス式窯と製造法に感銘を受けた西村の指示により、同工場に派遣して窯と製法を学びドイツでカラス製法を習得し、各種の吹き込み型や機械を買い求め、ドイツのガラス工2名を伴って明治21(1888)年5月に帰国し、明治22(1889)年1月、ルツボ10本入りのシーメンス式窯を築炉してビール瓶の製造を始めた。
明治27(1894)年11月に田中鉱山によって、わが国初のコークス銑に成功した時の初湯で山神社の扁額が作られた際、中島宣が「以大高炉初湯鋳之 釜石銕山」の字を揮毫しているが、品川硝子は明治25(1893)年に解散していることから中島の釜石製鉄所での役割は不明である。

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釜石製鉄所山神社扁額
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香村小録 13.02.28, 13:55
香村小録(こうむらころく、1866-1939)金沢藩出身、東京帝国大学採鉱冶金学科を卒業し、農商務省に勤務。野呂影義に従い、田中製鉄所の25t高炉改修に従事する。大正6(1917)年、田中鉱山株式会社設立時に取締役となる。その後三井、日本製鐵株式会社と経営が移る中、取締役として会社発展に貢献する。
研究者としては、大正3(1914)年に工学博士の学位を取得、日本鉄鋼協会会長として製鉄業の重鎮として活躍する。

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釜石製鉄所山神社扁額
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大島高任 13.02.28, 13:33
大島 高任(おおしま たかとう、文政9年5月11日(1826年6月16日) - 明治34年(1901年)3月29日)は明治時代の鉱山学者。父・大島周意は藩医として南部藩に勤めた。天保13年(1842年)17歳で留学、江戸で蘭方医の箕作阮甫や坪井信道に師事し、長崎では採鉱術を学ぶ。嘉永6年(1853年)、水戸藩主の徳川斉昭から招かれて那珂湊に反射炉を建造。大砲の鋳造に成功するが、原材料が砂鉄の為にその性能は高くはなかった。西洋と並ぶ高品質な鉄を造るべく、良質の鉄鉱石が産出する大橋(釜石)の地に西洋式高炉を建造、安政4年12月1日(新暦1858年1月15日)に鉄鉱石製錬による本格的連続出銑に成功する。これは、商用高炉としては日本初である(なお、日本における高炉による初出銑は鹿児島の集成館高炉によるもので安政元年(1854年)のことである)。

その後盛岡藩に戻った高任は、蘭学に英語、医学、物理、化学、兵術、砲術などを教える日新堂を創設。 維新後の明治4年には岩倉使節団に同行、欧州の鉱山を視察。帰国後の明治7年(1874年)には岩手県釜石に新設される官営製鉄所について意見を求められるも、ドイツ人技師ビヤンヒーと意見が対立。政府は小型高炉を造り運河を整備すべしという高任の意見を退け、大型高炉を造り鉄道を整備すべしというビヤンヒー案を採用。明治8年、高任は釜石を去り、官営製鉄所は後に失敗に終わる。

明治23年(1890年)には日本鉱業会の初代会長に就任。 後年、那須野の開墾にも携わり、葡萄園と葡萄酒醸造所の設営に係る。

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金野義男 13.02.28, 13:25
金野義男(こんのよしお、昭和39(1964)年12月22日-)は経営者、サイト運営者。コンノ電器を営む傍らかまいしnetを運営。

略歴
1964年12月22日 釜石市に生まれる。
1993年10月1日 コンノ電器を創業。
2004年8月21日 かまいしnetの運営を開始。
2011年3月11日 東日本大震災で自宅、店舗を被災。
2011年4月11日 コンノ電器を仮店舗で営業。
2011年12月22日 コンノ電器を平田パーク商店街の仮設店舗で営業開始。
2013年9月1日 平田どうもの会事務局長に就任。


関連項目
かまいしnet

外部リンク
金野義男 - Facebook
コンノ電器
コンノ電器総合技術研究所
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